第三章:長すぎる三分間

第一章:白い影はこちら

第二章:失ったものはこちら

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翌朝午前9時、ルークとジョージが喋る隣でバンテージを巻いていると、練習場の扉が開いた。グレーのスウェットを着て、髪を後ろで束ねた女性が姿を見せる。エリーは三人を見据えると、緊張した様子で頭を下げた。

「おはようございます。よろしくお願いします」

ルークとジョージが彼女の元に行き、部屋の隅にあるロッカーへと案内した。本当に来たことに驚いていると、エリーと目が合い、彼女は軽く会釈した。エンゾは左掌に視線を戻し、小さく頭を下げた。

4人でストレッチをして、ルークとジョージが基礎の構えを教え始めた。エンゾはその輪に加わらず、隅で1人ロープをした。大会まであと4日。エンゾはまだ追い込むつもりでいたし、何より3人で1人を教えるなんて非効率だ。それにエンゾは女性とどう話せばいいかわからない。キックボクシングに夢中だったし、学校でも男としかつるんでこなかったのだ。

ルークがボケてジョージがツッコミを入れたのか、エリーが小さく笑顔を作るのが見えた。エンゾはすぐに意識を足下に向ける。とても試合前とは思えない雰囲気に苛立った。監督は一体何を考えているのだろう。あいつらもバカみたいに楽しそうにしやがって。ルークも同じ日に決勝戦を控えているのに、そんなにリラックスして大丈夫なのか。3人の会話をかき消すように縄のスピードを上げていく。

休憩をしてからリングに上がり、鏡を見ながらシャドーボクシングをした。昨日もあまり寝れなかったので、心なしか体が少し重い。それでも集中を緩めることなく、実際の試合をイメージしながら3分を3ラウンドこなした。練習に集中しながらも、頭の片隅にはあの影がいた。自分の力を試すためにも、あの影ともう一度戦いたくて仕方がなかった。昨日の夜中も練習場に来たが、なぜか影は彼の前に姿を見せなかったのだ。




休憩を挟んでからエンゾはジョージを呼んで、ミット打ちに付き合ってもらった。3分を3ラウンド、ミットをはめたジョージを前に実戦を意識しながらテンポよく打ち込んでいったが、ルークが大袈裟にエリーを褒める声が聞こえてきて気が散った。エンゾと違い、ルークの次戦の相手は、夏にノックアウトした選手だ。2人の間には大きな実力差がある。きっと優勝できるから、ルークは余裕なのだろう。

ミット打ちを終えて休んでいると、エリーがサンドバッグを打ち始めた。ジョージもルークの横に立ってエリーのフォームを観察し始める。エンゾは遠巻きにぼんやり眺めた。初心者だから仕方がないが、体の軸が前に出過ぎていて、腕だけで打っている。腰が全然使えていない。ルークが自分の体を動かして正しいフォームを説明するが、なかなか直らない。

「なんでできないんだろ」

エリーは悔しそうに言った。遊び感覚だと思っていたが、その表情は至って真剣なものだったので、エンゾは少し驚いた。

だが、それでもフォームは修正できていなかった。昼前まで練習をすると、エリーは帰っていった。帰り際、ルークが「また明日ね〜」と言っていたが、本当に明日もやるつもりなのだろうか?

「エリーさんってかわいいっすよね」

エリーを手を振って見送りながら、ジョージがエンゾにだけ聞こえるように言った。エンゾはジョージの腑抜けた笑顔を見ると胸を軽く叩き、ボクシンググローブを渡した。

「ガチスパーやるぞ」

エンゾが言うとジョージの表情が曇った。

「いや先輩、今日はやめましょ。上がりましょうって」

ジョージのいう通りではある。実戦に近いスパーリングを試合前にやるなんて、自殺行為だ。

「大丈夫だよ。1ラウンドだけ」

エンゾが歩き出すと、「ケガしても責任取れないっすよ!」とジョージの呆れた声が聞こえた。

ヘッドギアとレガースをつけて立つと、ジョージがタイマーを3分にセットし、2人は向かい合った。リズムを刻みながらジョージの様子を伺っていると、早々にジョージが体を入れてワンツーを打ってきた。右腕で受けカウンターで左フックを放つ。顔に当たったと確信したが、インパクトの瞬間、腕は空を切っていた。ジョージはスウェーバックで交わし、そして身を引いて距離をとった。おかしいと思った。いつもなら、確実に当たっているはずなのに。

エンゾは嫌な感触を振り払うように、またすぐにジョージの懐に入った。激しく打ち込み、何発かは手応えがあったが、最後に繰り出したストレートを防がれるとカウンターを食らい、ストレートをまともに顔に喰らってしまった。今までなら、避けるまではいかなくても、ガードができたはずだった。だが、なぜか反応が遅れてしまったのだ。

思わず一歩下がると、勢いに乗ったジョージが次々に攻撃を仕掛けてきた。必死に防御しながら反撃しようとしたが、体がこわばってしまい、エンゾは動くことができない。気づいたら頭を下げて、ジョージの打撃に耐えるので精一杯だった。

どうしよう、どう抜け出す? どうすればいい?

必死に答えを探すうちに、タイマーが終了を告げた。

ロープにもたれて息を整えていると、コーナーで見ていたルークが言った。

「お前、まじで休め。休まないと絶対にダメだ」

何も言えなかった。ジョージが気まずそうな表情で見ていて、さらに胸が痛んだ。上がった息を必死に整えながらリングを降りる。1ラウンドがあそこまで長く感じられたのは、これまでに初めてのことだった。




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